1月編集後記

 ブログを始めたキッカケは看護師不足問題だった。看護師になり早20年以上、いまだ看護師不足は解消されず改善の兆しさえ見えない。少子化の流れを受け新たな人材確保はますます難しくなるだろう。

 そんな中、医療の高度専門化は加速し、学ぶことは増え、患者への説明事項や手続きも増加。一方で入院日数は短縮化し、患者とじっくり接する時間は少ないどころかないに等しく、時間を生み出す術は看護師の業務改善もむなしく彼らの努力の域を超えている。

 しかし人々の価値観や生活は多様化し、病と共に生きる工夫は千差万別だ。慢性疾患患者が一生かけて上手に病気を自己管理するためには、看護師もまた彼らの多様性に対応し、個別性の高い生活指導をする必要がある。しかしその指導をいつ何分でするのだろうか。

 患者の退院後の生活に必要な指導を見極めるためには、付け焼刃な方法では不可能で必ず時間が必要だ。人員不足で火の車をまわしながら、きめ細やかな看護ができないことへの葛藤がもはや灯に変わりつつあるのを強く感じる。

 そんな時、恩師が「これからの生活指導は個別ではなく集団指導」とつぶやかれ、絶句したのを覚えている。同じころ、外来では人員不足で日々の業務が終わらず、看護外来の時間も拡充できず、毎日20時頃まで事務処理に追われる看護師がいた。膠原病患者の生活を支援するために外来での看護外来を充実させたいと、管理職にならず専門看護師の活動に専念すると決めたのに。

 実行できない現実を嘆いて、20年経ったこともあるだろう。できる方法を柔軟に考えないと、夢のまま。

 そしてとうとう思った。「病院で看護師が生活指導できないなら、自宅で患者が勉強できるようにしたらいいじゃない。」自分の価値観と生活を一番よく知るのは患者なのだから。そうして、サイト紹介にある流れへつながった。

 この試みが役にたつのか皆目見当もつかず、続くのかもわからない。継続するためには筆者もまたケセラセラ。文明の利器を使って集団に発信し、究極のセルフケアに突入。毎日頑張る看護師に頭がさがりつつ、ケセラセラでも少しだけ、このご時世を生き抜く患者さんたちに、看護の手が届くことを願う。

記事が役立ったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!
目次